巨匠が描く理想の設計を
具現化させた18ホール
当倶楽部のコース設計者 井上誠一氏はわが国のゴルフコースの設計者中でも第一級のベテランとして、50年近くコース設計に情熱を傾け、国内はもとより海外のコースも手がけられました。
当倶楽部のコースもその作品の中の優れたものの一つであり、当倶楽部が関西のコースの中で好評を頂いているのは井上氏の手腕によるところが多く、その意味でも井上氏は当倶楽部の功労者といえます。
当倶楽部は井上氏が最も油の乗ったといわれる昭和33~34年(1958〜1959年)に情熱を傾注して頂いたものであり、記念行事に来場ラウンドされた時も「どこも手直しするところはない」と氏にとっても非常に満足できる作品であったことが伺えます。

井上誠一氏(1908 – 1981)
設計の巨匠 井上誠一について
井上誠一氏は明治41年8月1日、東京・赤坂の眼科医の長男として生まれました。
井上氏がゴルフコースの設計を志すようになったのは、旧制高校時代、病気療養のために訪れた静岡県川奈でのゴルフとの出会いがきっかけでした。
当時、川奈ゴルフ場では新しいコース造成のために、イギリスから設計士がやってきていました。井上氏は、彼の仕事を見ながら、「これは面白そうだ。僕もやってみよう。」と思い立ちました。このとき、井上氏は21~22歳。
ちなみにこの設計士は、日本に”アリソン・バンカー”の異名を残した、世界的にも有名なチャールズ・H・アリソン氏でした。
ゴルフ場造りの最初の仕事は、「霞ヶ関カンツリー倶楽部西コース」。
以降、73歳の生涯を閉じる迄の約50年間に国内38コース・海外2コースの設計に携わりました。
氏が手がけた現存する主なゴルフ場
井上誠一氏が当倶楽部の設計を手掛けた時期は、氏がもっとも多くの傑作コースを設計した頃でもあります。もともとの地形を活かしたコースデザインは、年月を経て樹木の成長等により戦略性は高まり、現在に至るまで多くのゴルファーを魅了し続けています。
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年代
霞ヶ関カンツリー倶楽部
那須ゴルフ倶楽部
日立ゴルフ倶楽部 -
年代
川崎国際生田緑地ゴルフ場
新山口カンツリー倶楽部
大洗ゴルフ倶楽部
鷹之台カンツリー倶楽部
愛知カンツリー倶楽部
日光カンツリー倶楽部
西宮カントリー倶楽部
札幌ゴルフ倶楽部 輪厚コース
龍ヶ崎カントリー倶楽部
武蔵カントリークラブ
を手がける
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年代
戸塚カントリー倶楽部
赤倉ゴルフコース
東京よみうりカントリークラブ
春日井カントリークラブ
天城高原ゴルフコース
室蘭ゴルフ倶楽部 白鳥コース
伊勢カントリークラブ
いぶすきゴルフクラブ -
年代
佐賀カントリー倶楽部
烏山城カントリークラブ
葛城ゴルフ倶楽部
井上誠一氏について
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